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音楽と僕、そして少し恋(恥)。

小学5年小学校の鼓笛隊で、一番人気の小太鼓担当に選ばれる。自分の姿にうっとりする。
・・・・・・・が、後で指揮者の方がもてる事に気がつく。
・・・・・・・この頃TVCMで使われていた「Let it be」を聴いて、訳もわからずに感動する。
・・・・・・・わからないなりに「れろび〜」と歌っていた。洋楽が好きになった原点かも?

中学2年:初めてギターに触る。最初に弾いた曲は多分TULIPの「私の小さな人生」
・・・・・・・よく聴いていたのはミッシェル・ポルナレフとT.REX。邦楽で聴いていたのはTULIP。
・・・・・・・偶然ラジオで聴いた「魔法の黄色い靴」サビ部分のバックコーラスに歌詞を散りばめるアレンジに感激。

中学3年:実家がガソリンスタンドを始める。勉強よりも多分働いていた時間の方が長かった。
・・・・・・・よく聴いていたのはピンクフロイドの「狂気」。ヒットチャートにも目覚める。


高校1年:運良く県立高に合格。が、とにかく家の手伝い。花火大会等にも当然行けず、
・・・・・・・当時密かに好きだった子の事を思い泣きながら働く。そのおかげで徐々に小遣いが貯まる。
・・・・・・・後日、その子は一緒に花火大会へ行った友人の彼女に。人生最初の挫折。

高校2年:貯まった小遣いを持って何故か大阪へ楽器購入の旅へ(大げさ)。
・・・・・・・大阪のミュージックランドKEYでフェルナンデス・ストラトモデル(ラージヘッド)購入。
・・・・・・・アンプを購入するには資金が足りず、結局同級生からACE TONEのアンプを
・・・・・・・安く(高く?)購入。その日からリッチー・ブラックモアになり毎日ひたすら「BURN」を弾く。

・・・・・・・先輩達の演奏する四人囃子の「一触即発」を聴いて強い影響を受ける。
・・・・・・・クリエーション、オズ、高中正義等日本のバンドも聴き始める。そこへCHARの1.st登場。

高校3年:この頃ジェフ・ベック熱最高潮。クィーンファンだった中学時代の同級生の女の子まで洗脳。
・・・・・・・ジェフ・ベックを熱く語る事に熱心になり過ぎて、お付き合い出来ないままその彼女は転校。

・・・・・・・文化祭予選で見事落選。イーグルス等を演る予定がメンバーが集まらず「BURN」で予選に挑む。
・・・・・・・大音量で押し捲るトリオの演奏に当然先生側の評価なし。唯一、同級生の審査員が満点をくれた事が
・・・・・・・後日判明して少し救われる。

・・・・・・・同級生バンドだった「WORST」は学校外の活動も開始し、ロックだけでなく高校生バンドとしては当時まだ
・・・・・・・珍しかったヒュージョン系まで演奏し高い評価を得る。大分市のジーグ楽器店主催の「F.R.B」等で活躍。
・・・・・・・OBSラジオの「ぶんご"M"れーだー」と出会ったのもその頃。
・・・・・・・自分のバンド解散後僕は、彼らのライブだけは見逃さなかった。
・・・・・・・その事が縁で彼らとは生涯の友となる。ありがとう、S君、T君。

・・・・・・・家では受験勉強が出来ない為、夏休みと冬休みは大分市の市立図書館へ通う(当時は大分市城址公園横。)
・・・・・・・行き帰りの電車で時々見かけた一つ年上の女性にひとめぼれ。彼女は予備校に通っているらしかった。
・・・・・・・生まれて初めての告白。結果は当然×。電車男のようにはいきません。

・・・・・・・大学受験失敗。音楽と家業から離れる為、福岡の予備校へ。高3時代の担任から、お前に受かる大学なんかないと
・・・・・・・言われた事が逆にバネになる。東京に行きたい一心で、勉強する。何故か希望大学は理由も無く明治と決めていた。
・・・・・・・博多天神コア屋上で見た、アイドル時代のCHARライブが唯一音楽と触れた時。
・・・・・・・予備校の大教室で迷っていた女の子と少しだけ親しくなる。が、彼女は関西、僕は東京の希望した大学へ。

大学1年:軽音楽部に入部。大所帯の中で黙々と機材運び等に専念(笑)。意外に裏方作業が好きな自分を発見。

大学2年:人数不足だったロックセクションに1年生と2年生が大量に入部。一気にレベルがあがり取り残される。


2006年1月22日

ここまで読んで頂いた方、ありがとうございます。
こんなページまで探して読んで頂ける方が果たして世の中にいるんだろうか?という気持ですが
自分自身の事を整理する為に書き残してみました。だから決して愉快な話とかは出て来ません。

続きはまたいつの日か・・